まっさらな白銀の世界が終わりを告げて早数ヶ月。
六番隊、隊舎の廊下に座り込み、今は徐々に青々と茂りだした景色にほっと身を委ねていた。
気温も上々、空を見上げれば浮雲がぽつぽつと浮かんでいるくらいで、心なしか、眠気が体を襲う。
緩やかに流れ行く浮雲は一定の間隔を保ちながらゆっくりと視界から遠ざかり、その間に小さな溜息を付いた。



「何をしている」



頭上から降りかかる静かな声にゆっくりを顔を上げると、整った顔の部位の一つである眉がピクリと微動させる人物。
一瞬誰に声を掛けられたのか分からなく、ぽかん、と間抜けな口が開いた。



「・・・口を閉じぬか」



隊首羽織、牽星箝に黒い髪を靡かせて再度彼の口が開いて、座り込んでいた体を慌てて折り曲げ土下座のような姿勢を取った。



「く、朽木隊長、おは、お早うございます!」



頭を下げるだけでも良いものの、突然の来訪者に慌て過ぎたこの行動は朽木隊長をさらに顰めさせる。
たかが一介の死神に過ぎない自分は隊長を見るのも極稀で、もっと言えば声を掛けて貰えること等、百年に一度あるか無いか。
「”何”をしている」
再度問われた質問に慌ててふためき、”ただ、ぼけっと景色を眺めていました”というのもなんだか理由にするには軽すぎる。
や・・・その、えっとですね・・・。
この窮地を脱するような良い言葉は見つからないのか、と思考を回転させていると、朽木隊長が呆れたような静かな溜息を零した。



「何もそこまで悩まずとも良いだろう」
「・・・すみません」



土下座をした姿勢のまま首を垂れて折角隊長にお声を掛けて頂いたのに、なんだこの様は、と内心ふつふつと自分の不甲斐無さに悲しくなる。
その不甲斐無さに顔を失せていると再度頭上から声が掛った。





「もう、春か・・・」





聞き入った朽木隊長の声ではなく、少し柔らかな声にえ?と首を傾げて頭を上げた。
口元を少し上げて廊下から見える景色に視線を落とす朽木隊長は普段からはとても想像出来ないような柔らかな微笑みを零す。
そしてすっと手を上げて長い指が指す方向に目をやった。



「もうすぐ・・・咲くかもしれぬな」



差した指先の方向には桜の木が一本。
幹の先にはふっくらと桃色の膨らみが一つある。
「・・・桜、ですね」
そろそろ咲く頃だとは思っていたけども、一つ可愛らしく膨らみを持つ蕾はもう近々花を開く頃か。
満開の桜も好きだが、こうさりげなく咲く桜も好きだ。
過程、というのだろうか、満開になるまでの一歩、一歩が私は好きだったりするのだが。



「満開の桜も良いが・・・咲き始めも悪くは無い」



穏やかな顔に、声色に胸がほっと息をついて、今までの緊張が少し揺らいでいく気がした。
朽木隊長はこんな穏やかな人だっただろうか、と首を傾げる。
気づけば休憩時間の終了は近づいて慌てて立ち上がり再度朽木隊長に頭を下げた。



「す、すみません!そろそろ仕事に戻らないと―――朽木隊長とお花見出来て楽しかったです」



僅かな時間だったが、こうして朽木隊長に声を掛けて頂いて、言葉を交わし、花見とも大それたことではないが、それでもやはり憧れの人からの言葉は嬉しいものだ。
慌てて隊長の横を通り過ぎて一礼しまだ少し高鳴る胸を押さえて足早に仕事場へと戻った。





「・・・、か」











朽木隊長からのお声を掛けて頂いてからまた月日が流れていく間にあの蕾だった桜は小さな花を咲かせていた。
それを合図に他の幹からも幾つモノ蕾が膨らみ咲き始めていた。



桜は夢を見せてくれる。



現も忘れさせてくれるかのように、幻を招くように。



魅入らせては夢見を招き、想い人や想い事の幻を見せてくれるように。





桜には常々何かが憑いているという話を聞く。
多分朽木隊長をお目に掛けれたのもこの桜のお陰。
私は正直、朽木隊長は私のようなたかが一介の死神にお声を掛けてくださるような、そんな人情に厚い人ではないと思っていた。
四大貴族の一つ、朽木家現当主であり、朽木隊長自身はあまり表情を出すような方でも無ければ、掟や規則には厳しいお方。
いくら自分の隊の隊長とは言え、あの朽木隊長に、と思いに耽るとやはり心臓が高鳴る。
だから、これは桜が見せてくれた白昼夢。



「桜の、お陰・・・かな」



「桜のお陰とは何だ」



後ろから掛けられた声にお世辞にも可愛いとは言えない奇声を上げて振り向くと物思いに耽っていた人物、朽木隊長が真後ろに立っていた。
「霊圧くらい読まぬか」
物思いに耽っていた所為で、霊圧どころか、気配すらも読む余裕も無かった自分にはまたしても突然の来訪者に心臓が高鳴る。
呂律が上手く回らない中、朽木隊長、こ、こんにちわ、と頭を下げて一礼をする。
「兄は良く此処に居るが・・・」
此処と言った場所は前回も朽木隊長にお声を掛けてくださった廊下の一角。
「此処から見える景色が、好きなんです」
最高の花見場所、とも言える六番隊の隊舎の廊下は私の秘密の場所でもある。



は桜が好きか?」



はぁ、まぁ好きですけど―――・・・ん?
今、””って、え?え?何で私の名前―――。



「・・・隊長が自分の隊の死神の名を覚えていては不満か?」
整った眉を寄せて、変わらない静かな声が響く。
「いえ!滅相も!ただ一介の死神如きの私の名前を隊長が―――」
覚えていてくださったことが光栄で・・・それで、それで―――。
纏まらない言葉が空回って、あたふたとただ目を泳がせ身振り手振りがやっと。



「なら構わぬだろう」
それに
あの桜が咲き誇るところ・・・見たいと思ったのだ。



朽木隊長の目が、優しく、柔らかくなって愛おしそうに桜を見つめるものだから・・・。



「朽木隊長は・・・桜がお好きですか?」



「好きで無ければここには居らぬ」
私とて、花を愛でたいと、求めることぐらいある。



「・・・私は、朽木隊長をこうして花を見れて、幸せです」



いつか満開に咲き誇った桜を朽木隊長と眺めたいと願ってしまうほど。
、この桜の見頃は何時になる」
「後一週間ほどで、見頃だと・・・思います」
桜に視線を落としていた目をすっと朽木隊長に移すと、酷く柔らかな表情を作って微笑んだ。



「ならばその時、また桜を愛でるとしよう・・・共に、な」






願わくば、私は桜になりたいと思う





配布元 天球映写機様