十一番隊の執務室には、高く積まれた書類と格闘するしかいなかった。

「…はぁ」

今日何度目になるかわからない溜め息をついて、は新たな書類に手を伸ばした。
少し離れた道場から、気合いの声と木刀の打ち交わされる音が響く。

冬の冷たい空気が和らいできた、この季節。
鍛錬日和とも言える晴れた日が続いていた。

「いいなぁ…」

女ながらに十一番隊四席のだ。
基本的には書類と格闘するよりも、剣を交えている方が楽しいし、性分に合う。
今すぐにでも合流しに飛び出していきたいところだが、事情が許してはくれない。

「期限切れのは全部出した。今日までのも終わった…かな」

溜まりに溜まった書類の山。
他隊からやってくる督促の嵐。

それでも、武闘派の集まりだけあって、誰も手をつけようとしない。
ついついが見かねて手を出してしまう羽目になる。
気がつけば、隊の書類捌きはがメインとなっていた。

はもう一度溜息をつく。

「…はぁ」

基本的に、隊長の更木はデスクワークをしない。
全くしないわけではないが、するのは隊長決裁の必要な物に限る。

そして、副隊長のやちる。
彼女は…全くしないと言っていい。
『だって、やちる、難しいことわかんないも〜ん』と、うるうる見上げられると
母性本能がくすぐられるのだ。
ついつい許してしまう。

三席の一角は、机上よりも実戦派だ。
戦闘要請があれば、真っ先に飛び出していってしまう。
もっとも、が十一隊に来るまでは、副官補佐としてそれなりにやっていたらしい。
何故か今は、事務関係の仕事はが受け持っているのだが。

実質四席、名目五席の弓親は、自分の分はきちんとこなしてくれる。
隊長決裁の必要なものを揃えて、隊長にお伺いをたてたりするのも彼の仕事だ。
けれど、それ以外は手を出さない。
実質五席、名目四席のには、あまり強く言えないものがある。

下位席官に任せられるものは任せても、結局、最後の仕上げはの仕事になる。

「いい天気だよねぇ…」

窓の外には、重い雲を払った青い空。
穏やかな日差しが差し込んでくる。
庭園が壊されてしまったこの隊舎に、わずかばかりに残る植木に止まった小鳥がさえずる。

「あー、かわいい」

は手を止めて、愛らしい姿を愛でる。
だが、小さなさえずりも、すぐに野太い声にかき消されてしまう。
驚いたように飛び立つ姿に、しょうがないな、と苦笑しつつ、十一隊らしいとも思う。

「…もうちょっと、進めておこうか」

そしたら、明日は少しは余裕があるかな、とが新しい書類に手を伸ばした時だった。

、まだやってんのか」

扉が開くと共に、一角が顔を出した。

「…申し訳ありません。なかなか…はかどらなくて」
「いや、謝る必要はないけどな」

何かを包んだ風呂敷を持った一角はスタスタと歩いて、の机の前に立った。

「一角さん?」

手伝ってくれるのだろうか、と一瞬淡い期待をしたが、あり得ないな、と即座に否定する。
今までだって、そんなことは皆無に等しいのだから。
少し恨めしい気持ちで見上げれば、一角はポリポリと頬を掻いた。

「あのよ、今日はもう、テキトーに切り上げろよ」
「…テキトー、ですか」

できるものなら、そうしたいんですけどね、と言外に告げる。
この山を見てから言え!と叫びたい気持ちを、グッと堪える。

「もう少しやらないと、他隊に迷惑をかけてしまいますから」
「いや、もうかけてるだろ、充分」
「……否定はしませんが」

がっくりと肩を落としそうになる。

(わかっているなら、少しは手伝ってよ〜!!)

そんなの心中を知ってか知らずか、一角は山と積まれた書類をペラペラと何枚かめくる。

「急ぎのやつはあるのか?」
「今日までの期限の分は、既に終わって廻しています」
「よし、じゃあ、大丈夫だな」

ポン、と手を打った一角を、呆然とは見上げた。

「…明日が期限の分もあるんで…大丈夫とは言えませんが」
「ンなもんは、明日やればいいだろ」

一角はガサッと書類を持ち上げると、隣の弓親の机に置いた。

「これは弓親にやらせとけ」
「一角さん? な、何を…」
「おめェは少し働きすぎだからよ…。まあ、いい。行くぞ」
「は?」

がきょとんとすると、一角は、「ったく。めんどくせぇな」とぼやいた。

「行くッつったら行くんだよ。おめェ、これ持っておけ」

そう言うと風呂敷をに投げ渡した。

「早くしねえと」
「一角さん…?! ちょっと…キャッ」

腕を掴まれて立たされたかと思うと、背中と膝の後ろに手を回されて抱き上げられた。

「な、な、何ですか」
「黙ってとけ。舌噛むぞ」

言うなり、を抱いたまま、一角は瞬歩で走りだした。
一角と密着してドキドキしたのも、つかの間。

(は、早すぎ…っ!)

さすがは三席だけはある。
すさまじい速さに、甘い気持ちはどこへやら。
風呂敷包みを落とさないように抱え、一角の袂を握るのが精一杯だった。
は目をつぶり、広い胸にしがみつく。

一体どこへ連れて行かれるのか、皆目見当がつかなかった。








「ほら、着いたぞ」

目的地に着いたのか、一角が動きを止めて腕の中を覗き込んだ。
は恐る恐る見上げた。

「あの…ここは?」

情けないことに、少し涙目になっているのが自分でもわかる。

? どうした?」

一角が慌てて、をそっと降ろす。

「どうした?…その、怖かったのか?」
「いえ…そういうわけではなくて。少しビックリしてしまって」
「あー…スマン」

申し訳なさそうに一角は頭を掻いた。

「急がねェとよ…邪魔が……いや、なんでもねェ」

何故か、微かに頬を染めて、一角はその場に座り込んだ。

「おめェも座ったらどうだ?」
「あ、はい…」

訳がわからないまま、は一角のとなりに腰を下ろした。
連れてこられたのは、流魂街を一望できる小高い丘の上だった。

「一角さん、ここは?」
「ん? ちょくちょく息抜きに来る場所だ。いいトコだろ?」
「確かに…」

はこの場所を知らなかったが、景色もいいし、草地を流れる風も気持ちいい。

「あ、梅が咲いてる」

少し離れた所に、大振りの枝を広げた梅の木が二本あった。
淡い紅色の花が満開に咲いていた。

「きれい…」
「今が見頃だと思ってな」

うっとりと見上げていたは、一角の言葉に我に返る。

「もしかして…これを見せに連れてきてくれたんですか?」

一角は問いには答えずに、そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに告げる。

「その包み、開けて見ろ」

は言われるままに風呂敷をほどく。
出てきたのは現世の物と思われる水筒と、丁寧に包装されたお菓子の箱。

「あ、コレっ!」

お菓子の箱の紋様を見て、は顔色を明るくして一角を見た。
一角が得意そうにうなずく。

「食いたいって言ってただろ?」

それは、が行きたいな、と言っていた和菓子屋の物だった。

「…わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「ちげぇよ。近くを通りかかったんでな、ついでだ、ついで」

ついでの部分をやたらと強調されたが、は素直に礼を言った。

「それでも嬉しいです。ありがとうございます」
「おう。好きなだけ食え」
「はい。お言葉に甘えます」

そう言って、包みを開けると出てきたのは、上品な梅最中。
かわいい花の細工に、自然と顔がほころぶ。

「なんか…食べるのがもったいないです」
「食べねェほうが、もったいねェってモンだ。さっさと食え」

一角に促されて、ひと口食べる。

「美味しい…!」
「…そうか」

満面の笑みに、一角も満足そうに口元を緩めた。

「一角さんも如何ですか?」
「あー、一個もらうか。後は遠慮なく食べろよ。お茶も淹れてきたからよ」
「…コレ、どうやって使うんですか?」

見慣れない形態の水筒に戸惑っていると、さっと手が伸びてきた。

「あー、コレはな…こうやって…。優れモンだぜ、なかなか冷めねェんだ。現世
から持ってきたんだぜ」
「へえ…」

が感心してみていると、コポコポとお茶が注がれて差し出される。

「熱いから気をつけろよ」
「…ホントだ、熱い」

ふぅ、と息で冷ましてから口をつける。
程良い熱さが、好きでない事務仕事で疲れた体に染み渡る。

「一角さん、ありがとうございます」
「おう」

一角は最中を飲み込み、お茶を啜った。

「もう一個、いいですか?」
「ああ、食えよ」

甘すぎない上品な味は、想像していた以上だ。

(あー、でも、コレは一角さんが買ってきてくれたからかな)

だから、とても美味しいんだと思った。

「…全部食べていいんだぞ?」

手つかずに残った3個の最中を包み直し始めたに、一角が怪訝そうに続けた。

「まだ入るだろ?」
「そりゃ…美味しいですから。まだまだ入りますけど」
「だったら、食えよ」
「ん、でも…」

はううん、と首を振った。

「これは隊長と副隊長、弓親さんに」
「あン?」

途端に眉を寄せた一角を見て、は慌てた。

「ダメですか? とっても美味しくって…嬉しかったんで。皆さんにも食べて欲
しいな、と思ったんですけど…」

思わず語尾が小さくなる。
怒らせてしまったか、と見上げれば、一角はしょうがねぇな、とぼやいた。

「それは、おめェだけの為に…いや、なんでもねぇ」

そう言って、の髪をクシャクシャと撫でる。

「ま、おめェらしいな。好きにしろ」
「はい。皆さんも喜ぶと思います」
「あー、そうだろな。まあ、ドチビには味なんかわかんねーだろうけどよォ」
「それはヒドイ…」
「味わう前に飲み込むんだ。真実だろうが」

一角は苦笑すると、そのままゴロンと寝転がった。

「いい天気だな…」

うららかな陽気が気持ちいい。

「よし、昼寝するぞ」

そう宣言すると、一角は瞼を閉じた。

「まだ勤務中ですけど…」
「いいんだよ」

きっぱりと言い切られれば、苦笑するしかない。

「了解しました。じゃあ…私は帰って書類を片付けないと」

が立ち上がりかけると、不意に腕を掴まれた。

「えっ、キャッ!」

突然、強く引っ張られて姿勢を崩してしまう。
気がつけば、横になった一角の腕の中にいた。

「ちょっ…一角さん?」

すぐ側に一角の顔がある。
自分でも顔が一気に赤くなるのがわかった。

「逃げんなよ」

じっと見つめてくる一角の頬も赤くなっている。

「一人だけズルイだろ? おめェもサボるの付き合え」

それだけ言って、一角は顔を背けた。
肩を掴んだ背に廻した腕は、そのままにして。

「で、でも…」

掴まれた部分が、ひどく熱く感じる。
呼吸音さえ捉えられそうな近さに、の鼓動は高鳴った。

「書類を…」
「文句あんのかァ? 上司の命令が聞けねェのか」

不機嫌そうな声で、滅茶苦茶な命令が告げられる。

「ここのところ働きづめで、ロクに休んでないだろ?」
「えっ…」
「さっさとしろ……腕枕してやっから」

一角の強気な口調が段々弱くなっていく。
背けた顔は首まで赤い。

「一角さん…」
「うるせェ」

これ以上問答するつもりはない、という意思表示なのか、一角は目をつぶった。



頑としてを放すつもりはないらしい。
それを悟って、は観念した。

「…はい」

も横たわって、おずおずと一角の腕に頭をつける。

(ドキドキしすぎて…眠れそうにないんですけど)

おかしなくらいに高鳴る自分の鼓動が、一角に聞こえてしまわないだろうか。

(ああ、きっと無駄に霊圧も上がってるはず…)

恥ずかしさと、嬉しさと。
抑えようのない気持ちが溢れてくる。

そっと一角を窺えば、一角もこちらを見つめていた。

「なんだよ」
「いえ…」

慌てて視線を反らし、思い切って一角の死覇装の胸元を少し握り、頬を寄せた。
一角は一瞬だけ、微かに体を強ばらせた。
だが、避けようとはせずに、腕枕する手とは反対の手で、そっとの髪を撫でた。

「…寝るぞ」
「はい…」

どこからか吹いた優しい風が、梅香を運ぶ。
肌に感じる温もりに安堵感を抱きながら、はそっと瞼を閉じた。