「冬の夜って、静かで優しい感じがしない?」

 木目の美しい廊下に寝転がる彼女がそう言った。
 整えられた庭園は確かに静寂に包まれていて、母屋の喧騒も聞こえてはこない。
 深い闇に沈む庭園と月のない空を横目に、吉良は足元の彼女を見下ろした。
 乾ききっていないだろう黒髪が木目に散らばるさまを、なんとなく見慣れないもののように
 瞳に映す。

「・・・、風邪をひくよ」
「そうね」

 肯定したものの、漆黒の双眸を閉ざす彼女に動く気はなさそうだ。
 気が済むまで好きにさせておくべきか、強制的に暖かな部屋へ連れていくべきか。どちらがの機嫌を損ねずにいられるかを吉良は考える。
 逡巡の後、感情の機微の判じがたい彼女相手ではそれも無駄な事だったと思い直し、の傍らに片膝をつき、その背と膝裏に手を差し入れた。
 だったら、彼女が風邪をひかない方を選択しよう、と。
 腕に触れる黒髪は、やはりわずかに湿り気を帯びている。
 今宵は、この冬一番の冷え込みようだ。このままにしていたら、確実に風邪をひくところだった。
 吉良が小さく溜息をついた時―――。

「重い?」

 閉ざしていた眼差しを向けて、が静かな声で問うた。
 唐突に言われたの言葉に、吉良は首を傾げる。

「何が?」
「私」
?」

 吉良の首に腕を回したがぐっと身を引き寄せたので、ああ、と気付く。
 の冷えた指先が湯上りの首筋に触れるとわずかに吉良の肩が震えたが、彼女を取り落とすような失態は当然しなかった。
 逆に冷えきった彼女の体を抱く腕に力を込めてやる。

「一応、僕も男だからね。女性一人抱えた程度でよろけたりはしないよ」

 それに、と吉良は続ける。

は軽い方だと思うけど」
「・・・誰と比べて?」

 この会話にどんな意図があるのか。表情を消したままの彼女からは、機嫌の良し悪しでさえ図りきれなかった。

「別に、誰かと比べての言葉じゃないよ」

 の体を支えながら、染みひとつない障子をすぅっと開ける。
 吉良が部屋を出る前に火鉢へ火を入れておいたため、室内は暖められていた。
 大人しく部屋に戻っていてくれればよかったのに。

「イヅル、障子は閉めないでおいて」
「雨戸だって閉めていないのに。このままじゃ、夜は冷えるよ」
「いいのよ」
「・・・冬の夜がどうしたって?」

 強引にでも雨戸や障子を閉めて彼女を布団で包んでしまえばよいのだろうが、それをするのはどうにも吉良の性分ではない。
 とりあえず彼女の願いを聞いて、障子を一枚開けたまま火鉢の近くに腰を下ろした。
 胡坐をかいた膝の上に座らせてもが嫌がる様子がなかったので、彼女を腕の中に閉じ込めたまま先を促す。

「冬の夜は、静かで優しい声が聞こえるんですって」
「ふぅん」

 彼女らしからぬ言葉に軽く相槌を打てば、その考えが読まれたようで、はふふっと口元に笑みを浮かべた。

「以前、朽木隊長がそんな事を仰ってたわ」
「朽木・・・隊長が?」

 以上にらしからぬ人物の名が挙がり、吉良は些か面食らった。
 当の本人は悪戯が成功した子どものように「意外でしょう?」と笑みを浮かべている。

「それで君は、あんなところに寝転んでたのかい?」
「それもあるけど―――」
「うん?」

 が己の黒髪を手持ち無沙汰に弄ぶ。

「雪が降りそうだな―――って」

 白い指先が漆黒の絹糸を絡めて遊ぶさまを、吉良は目を細めて見ていた。

「夜の闇の中に白い雪が降るさまは、とても美しいと思うのよ」

 その気持ちはわかる気がする。それに近い状態を眺めるのは、吉良も好きだった。
 黒髪で遊ぶの指に、吉良も指を絡める。
 ひんやりとしていたの指が仄かに温かくなった頃、吉良が何気なさを装って口を開いた。

「でも、今夜は雪は降らないと思うよ」

 絡めた指先にそっと接吻けを落とす。

「だから、雨戸も障子も閉めてしまった方がいいんじゃないかな」

 母屋からの来訪者も、冬の夜の優しい声も、静かな雪の訪いも、朝の光さえも、
全て締め出して―――。
 吉良の思惑を知っているの是に、がらりと雨戸が閉められる。





 白い敷布に散る黒髪を眺めながら、夜に降る雪よりもこちらの方が余程自分の心を惹きつけて止まないのに、と吉良は思っていた。





夜と白と漆黒の