気に入らなかったのは、頬に残る返り血ではなかった。 「弓親?」 虚討伐の任務から帰ったばかりのを迎えた弓親の傍らには、めずらしく一角がいない。 門までわざわざ、しかもひとりで迎えにきたところを見ると、おそらくはこの後ふたりで過ごすつもりだったのだろう。 どちらかの部屋へむかうだとか、甘味処に寄ってみるだとか。 が思っていたのと同じように、彼だって確かにその気で来てくれていた、はずなのに。 目を合わせてひと声掛け合うなり黙り込んでしまうものだから、わけもわからぬままこちらも黙ってしまうより他にない。 そこらの娘なんかよりずっときれいなこの男。 肌だって髪だって驚くほどつやつや。そのくせちょっとした仕草がとびきり男前なものだから、もう。 変な空気に困っていたはずの今でさえ、横顔を見上げただけで途端にそんな風に見とれてしまうのだからどうしようもない。 「…なににやついてるのさ」 「にこにこしてるって言って」 「気色悪い」 「うわっ、ひどい!」 顔は正面を向いたまま、視線だけ寄越してそれだけ言って、そのまま。 なんなの、それ。 「ねー、なんでそんなに機嫌悪いの?」 「別に」 「あたしに怒ってる?」 「…半分は、そう」 呟いて、すたすたと有無を言わさぬ速度で歩き続けていた足をぴたりととめる。 急に立ち止まるものだから、はそれに並び損ねて数歩追い越し、そのまま振り向いて ちょうど向かい合うような格好になった。 おそるおそるその顔を覗き込んでみると、眉間にきれいなしわ。 やはり相当不機嫌らしい。 しばらくの間の後、ぐしゃりと無遠慮に髪をかき混ぜられた。 普段ならば文句のひとつも言ってやるところだが、今回ばかりはされるがまま、様子をうかがう。 「何だい、これ」 髪をひと束持ち上げて。 「え、何、って…?」 「なんで湿ってんのかって訊いてるんだよ」 湿ってる? 「ああ、雨に降られたの」 「それで、濡れながら平気で帰ってきたの」 「濡れるってほどの雨じゃなかったよ? えっとあれだよ、袖傘雨」 「ばか」 そうして声色は不機嫌なまま、 力まかせに抱き寄せられる。 良かった。 なんだかよくわからないけれど、大丈夫のようだ。 頭をすっぽり抱えられているこの腕が乱暴で、それでいてきちんと優しいから たぶん、大丈夫。 眉間を寄せたままの弓親に抱かれながら は薄くまぶたをおろした。 気に入らなかったのは、その髪を濡らした雨。 標的を前にすれば血しぶきのなかで嬉々として剣をふるう、獣じみて美しい魂のくせをして 僕の隣で歩くときには、ふわふわと甘ったるく笑うものだから。 、こいつは、夢と砂糖でできているんじゃないか と 本気で思ってしまうんだ。 雨なんかに濡れたら、溶けて消えてしまうんじゃないか と 本気で。 「」 「ふえ?」 頭の上から降ってきた声に、夢見心地のまま返事する。 「ほっぺに返り血ついてるの、知ってたかい?」 「えっ うそ」 ぱっと目を見開き、慌ててごしごしと両の頬をこする。 顔に血をつけた女の子なんて! もしかして、弓親の不機嫌の理由はこれだったのか。 その様子を見下ろしていた弓親がふん、と短く笑った。 「ちょっと色っぽいって褒めようと思ってたのに。 君はほんとわかってないな」 「ええぇ」 意地悪く笑いながら、抱いていた腕をあっけなくほどく。 さあ行くよ、と大股で歩き出した背中には、 いつものように差し出された手。 *** お粗末様でした! |