見慣れたはずの横顔は、ひどく穏やかに見えた。 その眼があまりに真っすぐ夜の空をみつめているので、夜着の裾をそっと引っ張 ってみる。 一角がこちらを振り向き、なんだよ?と眼差しだけで訊くが、はそれには答 えない。 何も言わず腕に抱きつけば、一拍の間の後、頭に一角の額が置かれたのを感じた。 秋口の風が頬をなぜてゆく。 気持ちがいいと言うには少し肌寒く、細い月までもが凍てて見えた。 言い出したのはのほうだった。 「ねぇ、一角」 布団に寝転んだままの体勢で見えた窓の外の三日月が綺麗で、なんとなく。 「風に当たりたい」 「は?」 「夜風に当たりたいの」 ほとんど駄々をこねるように言って振り返れば、一角は飲みかけの猪口を口から 離してこちらを見ていた。 怪訝そうに、眉間のシワを普段より更に深めている。 今から行くのか、とその眼が尋ねるので、が頷いて見せる。 「寒ィだろが」 「ひ弱ハゲ」 「てめぇが風邪ひくっつってんだ貧乳」 「…言うほどちっちゃくないもん」 どうだかな、と一角が言ったのと同時に、ばさりと何か覆いかぶさってきた。 藍の薄手の羽織り。 見れば一角はもう戸口に立っていて、その視線を捕まえるのには体ごと反転しな くてはならなかった。 「ちゃんとそれ羽織ってけよ」 「あっ、ちょっと待って」 一角の背中を追って部屋を出ると、いきなり抱き上げられ、そのまま隊舎の屋根 に上がったのだった。 「」 「…なに?」 「そろそろ戻るぞ」 「えー。もう?」 「俺ぁ明日非番じゃねんだよ」 てめぇも仕事だろ、と言うのと同時にはまた抱きかかえられていた。 途端、うわ、と一角が声を上げる。 「、お前冷えきってんじゃねえか」 「そう?」 確かに一角の腕の中がすごく暖かい。ということは、きっと自分の体が冷えてい るのだろう。 あんまり感じないけどな、と言うと頭の上から一角の舌打ちが聞こえた。 部屋に戻ると、外より幾分暖かい空気に包まれた体が思い出したようにぶるっと 震えた。 ああやっぱり寒いや。 布団の上で冷えた足をこすっていると、一角が部屋に入って来ていないことに気 づいた。 しばらくそのまま戸口を見つめていたが、一向に一角は現れない。 なんだか急に不安が押し寄せてくる。 「一角?」 立ち上がって戸口に近づいたところで、障子が開いて一角が入って来た。 その手には梅柄の湯呑み。のものだ。 「おら」 おもむろに突き出されたそれを受け取ると、じわりと鈍く痺れるような熱さが手 のひらに広がる。 湯飲みには、なみなみと緑茶が淹れられていた。 「それ飲んでとっとと寝やがれ」 どかりと乱暴に座って胡坐をかく。 ぶっきらぼうな態度をとりつつも、自分のためにわざわざお茶を淹れてきてくれ たのだと思ったら自然と口元が緩んでしまう。 なに笑ってんだ、という声はちょっと不機嫌で、一角が照れているのがわかる。 素直にありがとうを言えば、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。 私は一角に甘やかされている。 時々こうしてばかみたいに甘えてみるのだけれど、それが突っぱねられたことは 一度もない。 再び晩酌を始める一角の隣で眠る、こんなに幸せな時間は他にはないだろう。 それなのに、そこに理由なんかなければいいのに、と思ってしまう。 貴方はきっと、私の手が届かないところで死んでしまうひと。 闘いの中で死んでゆくひと。それだけを望むひと。 私はちゃんと知ってるよ、痛いくらい。 心に住みついてその刃を鈍らせるくらいなら、繋ぎ止めたいとは思わない。 その代わりに、一緒にいるときは骨太な愛情を注いで欲しいんだ。それはきっと 相互の想いだろう。 そうわかっているのに、この時間に理由なんかなければいいと思ってしまう。 わがままでごめんね。 白い湯気を立てて揺れる、鮮やかな浅緑を見つめていたら、またどうしようもな く愛しくなってしまった。 |