十一番隊隊長・更木剣八。 その男と戦ったのは、たったの一度。 けれど、その一度で自分の生き方が決まった。 彼の強さに魅せられて死神になったのは、自分たちだけではなかった。 そのことを一角が知ったのは、自分と弓親が死神になった五年後のこと。 荒くれが集う十一番隊に異動になってきた女死神・。 女が異動してくることなど滅多になく、それだけでも珍しかったのに、異動の理由を聞いて更に驚いた。 本人の、たっての希望だという。 それを知った一角は、席次が近いこともあって、つい理由を尋ねた。 「なあ、お前、なんでウチを希望したんだ?」 女のクセに、という気持ちがなかったわけではない。 でも、それ以上に、男ですら敬遠することの多いこの隊に、女のが異動願いを出すというのに興味が湧いた。 「ああ…それは…」 は長い睫毛を瞬かせ、少しはにかむように笑った。 「話すのはかまわないんだけど…笑わないでくれます?」 「あァ? そりゃ、内容によるだろ」 「えー…そんな」 戸惑うに、一角は告げる。 「話せ。上席命令だ」 「…何よ、それ。二つしか変わらないのに…」 はムッと頬を膨らませたが、渋々と口を割った。 「私が流魂街出身だってのは、斑目十席も知ってるでしょう?」 「おう。それが?」 「私がいたのは、北の70地区なんです」 「70か…あんまり治安はいいとは言えねぇな」 「ええ。私は霊圧もあったし…どうも前世で剣術をやってたみたいで、心得があって。生意気にも用心棒みたいなことをしてたんです」 「へぇ…」 一角は素直に感嘆の声を漏らした。 治安の良くない地区で、女の身で生き抜くのは並大抵のことではない。 そこで、用心棒をしていたというのだ。 実際に剣を交わして知っているが、の実力は相当なものだ。 それは、流魂街時代に鍛えられていたせいだったのか、と密かに納得する。 「その時に、隊長にお会いして…というのも、少し違うんですけどね」 は遠い昔を懐かしむかのように目を細めた。 「隊長と戦ったんです。今思うと、無謀以外のなにものでもないんですけど」 思わず、一角は息を飲んでを見つめた。 「…それで」 「ええ、思い切り負けました。命があったのが不思議なくらい…。隊長、手加減無しですからね」 「そうだな、あの人は」 勝負を挑んできた人間に手加減などしない。 相手がどんな人間であっても。 それが、更木剣八だ。 「悔しかったですよ。でも、その時決めたんです。この人についていこう、って」 それからは、怪我を治して、剣八の行方をずっと追い求めて瀞霊廷にたどり着いた、と告げるは、かつての自分と一緒だった。 「そうだったのか」 「…ええ。おかしい、ですか?」 「いや」 一角はニヤリと笑った。 「俺も同じだからよ」 「え?」 「おう。俺もあの人を追っかけて、此処まで来たんだ」 が目を丸くして、小さく驚きの声を上げた。 「まさか、斑目十席も…? そんなこと、思ってもみなかったです」 「そうだろうな。…ああ、それから、俺のことは一角でいい」 「…は?」 更に目を丸くするの頭を、クシャクシャとなで回す。 気に入った。 実力も気性もひっくるめて、この女のことを。 「まどろっこしいからな。一角って呼べ。いいな、」 一角が名前を呼び捨てにすると、は驚き、それから満面の笑みで頷いた。 「あー、なんだ? 『十一番隊第三席・斑目一角。同四席・。両名に始末書の提出と三ヶ月の減給を申しつける』だそうだ」 剣八は十一番隊に届いた命令書に目を通し、たいして興味もなさそうに机に放り投げた。 「そんな、減給って、ひどい!」 「そうですよ。俺達はちゃんと大虚を退治したんスよ!」 自分たちの正当性を訴えると一角に、剣八は「あァ?」とつまらなそうに片眉を上げた。 「別に俺はどうでもいいんだがよ…。命令無視して暴走したあげく、他隊に被害が及んだとあっちゃ、なあ?」 「そうですねぇ…今回は庇い切れませんでしたね。はい、隊長。お茶です」 弓親は剣八に湯飲みを差し出して、机の上の命令書を覗き込んだ。 「どっちが沢山倒せるか競争した挙げ句、他隊との連携も無視しちゃたしねー。建物にも被害を沢山出したし」 「…そりゃ、そうだけどよ。なんで、弓親の名前が入ってねーんだ?」 「そうよ! 弓親だって行ったじゃない」 口を尖らせている二人に、弓親は呆れたように首を振った。 「僕はなるべく被害が最小限で済むように、後方でフォローしてたんだよ? 減給三ヶ月で済んだのは誰のおかげだと思ってるの?」 「なんでもいい。めんどくせぇな。おめぇら、さっさと始末書でも何でも書いてしまえ」 「「へーい」」 一角とは渋々頷き、自分たちの机に戻った。 「あーあ。始末書かぁ…」 が半紙を広げて、筆を持った。 その隣の机でも、一角が同様に筆を握った。 「始末書なんざ、適当に書きゃいいじゃねーか。最後に寛大なるご処置をお願い申し上げます、ってな」 「わかってんだけどさー。もう何枚目かわかんないし。毎回同じ文になっちゃうけど、いいのかな?」 「別にかまわねーだろ。そんなもんに創意工夫したってよ、飾られるわけでもねーんだからよ」 「それもそうだねー」 反省する様子のあまり見られない会話に、弓親は思わず苦笑した。 「どうしたんだよ、弓親?」 「ううん。二人は仲がいいなーって思ってね」 「何、馬鹿なこと言ってンだよ」 咄嗟に一角が否定し、も同意する。 二人はいつも口げんかが耐えなくて。 どうでもいいことで競いあっているけれど、その実、密かにお互いを憎からず思っていることは周囲には明らかで。 お互いの気持ちに気がついていないのは、当人達だけだったりする。 「はいはい」 弓親は適当に相づちを打つ。 一角もも大切な友人だ。 二人とも弓親が認める美しさを持っている。 他の人間が彼らの隣りに立つのは許せないが、二人が恋人同士になるのは大賛成だ。 だが、戦闘集団の三席と四席に、甘いロマンスを期待する方が間違っている。 「まあ、いいか」 別に恋仲であろうが、なかろうが。 今の関係は心地よいから。 それが変わらなければ、それでいい。 「よっしゃ、出来たぞ!」 一角が勢いよく筆を置いて立ち上がった。 「、さっさと持って行って、鍛錬でも行こうぜ」 「早っ! 待って、一角。もうちょっとだから…」 が慌てて筆を走らせた。 「遅せーぞ」 「わかってるよ! …よし、出来た!!」 も筆を置くと、息を吹きかけて墨を乾かす。 「行くぞ、!」 「うん。では、行ってきます!!」 明るく言い残して出ていく二人に目をやりながら、剣八が呆れたように口を開いた。 「…遠足に行くみてぇだな」 「あの態度のまま行ったら、総隊長の雷が落ちそうですね…わかってるのかなぁ」 弓親も少し心配になってきたが、思い直す。 「ま、始末書は慣れてるし…なんとかなるんじゃないですか?」 「おう。叱られたら叱られたで、二人で慰めあえばいいんだ」 思いがけない上司の言葉に、弓親は目を丸くした。 「隊長、なんかそれって、いやらしい…」 「阿呆。好きあった男と女が、いつまでも清い関係でいるほうが変だろうが」 「……もしかして、隊長。あの二人のことで、少しイライラしてます?」 「あったりめぇだ」 剣八はお茶を飲み干すと、ダンッと机に湯飲みを置いた。 「いい歳して、くっつくなら、さっさとくっつけってんだ」 そういうと、ニヤリと笑う。 「あいつらなら、似合いの夫婦になるだろうよ」 「恋人通り越して夫婦ですか」 「ああ。ったく、一角も意気地がねぇ。を狙って奴らがそこら辺にいるってのに、気がついてねーのか?」 「…たぶん。まあ、言い寄られたとしても、も一角しか目に入ってないですけどね」 「だったら、さっさとヤることヤっちまえってんだ」 舌打ち混じりで呟く剣八に、弓親は苦笑を漏らした。 「あんまりあおったら、逆に意識してしまってダメになるかも知れませんよ?」 「おう、わかってらぁ。あたりがムキになるだろうな…」 剣八は卓上のカレンダーを見て、ふと目を瞬かせた。 「そういや、今日は久里屋の新作が出るとか言って日だな?」 「ええ。二人に前に買ってやるって約束してましたね。副隊長は朝から居ないんでわかりませんけど、は忘れてるみたいですね」 「…しょうがねーな。あいつらがゴネたら面倒だ」 やちるといい、といい、剣八は部下の女性死神には甘い。 「ちょっと出てくるぜ」 「行ってらっしゃいませ」 「おう」 首を左右に鳴らしながら出ていく剣八を見送り、弓親は溜息をもらした。 「全く一角もも。隊長までも上手く逃げたねぇ」 目の前には未処理の書類の山が残っている。 しばらく思案して、弓親はポンっと手を叩いた。 「そうだ。お茶っ葉が切れてるんだ。僕も出掛けようっと」 書類は後でみんな仲良くやればいい、そう呟いて、弓親も執務室を後にした。 木刀の打ち合う音が鍛錬場に響く。 十一番隊三席と四席の競り合いに、他の隊員達は声一つ身じろぎ一つできずに目を奪われていた。 二人の霊圧は抑えられていたが、繰り出される太刀筋は早く、目で追いきれない者もいた。 「随分、腕を上げたじゃねーか」 「アンタに言われると、褒められた気がしないのは何故かしらね?」 「相変わらず可愛くねぇな」 一角は舌打ちすると、勢いよく踏み込んだ。 寸でのところで、はそれをしゃがんで交わしたが、続く攻撃に防御が間に合わなかった。 「あっ!」 は木刀を跳ね上げられ、一角の剣先が喉元で止まる。 「勝負あり」 ニッと一角が口角を吊り上げた。 は唇を噛みしめ、頭上を睨んだ。 「そう怖い顔すんなよ」 一角は木刀を降ろすと、手を差し出した。 「おめぇは充分強いんだからよ。まあ、相手が悪いと思え」 「そういうことにしておくわ」 は一角の手を借りて立ち上がった。 「あー、もう! 最後の最後で勝てないのよね。いっつも」 「しょうがねーだろ。そりゃ、実力の差だ」 それは真実以外のなにものでもなかったから、反論できなかった。 あっさりと告げた一角を睨んで、は道場の外へ向かった。 「おい、オメーら、後は適当にやっておけ」 一角も部下に指示を出して、後に続く。 「怒ってんのか?」 「…別に」 は水飲み場まで来ると、一角に手拭いを放り投げた。 「汗、拭かないと風邪ひくよ?」 「おう、すまん」 秋が深まり始めるこの季節。 肌に当たる風は冷たかった。 早速、一角は上着を脱いで上半身を拭き始めた。 それを見て、も上着に手をかける。 「だー、ちょっと待て! !」 「何よ?」 「オメーまで脱ぐのは…その、あれだろ」 「ちゃんとサラシ巻いてるわよ」 は反論して、迷わず上着を脱いだ。 「ばっ…」 一角は慌てて視線を反らした。 確かにサラシを巻いているので、胸元は隠れているにはいるが。 両肩は露わになっているし、胸の谷間がしっかりと目に入る。 こいつって、結構胸あるのな…などと、チラっと目をやりながら一角は思った。 たとえ仲のいい友人であっても、さすがにお互いの裸は見たことはない。 普段は気にもとめないが、こんな風に素肌を晒されると思わず視線が向いてしまう。 は気にすることなく体を拭いているが、一角としては気が気でない。 「へぇ…いい眺めやねぇ」 不意に背後から声がして、振り返れば市丸が立っていた。 「い、市丸隊長!!」 「ちゃんの素肌が見られるなんて…ええ目の保養やなぁ、斑目くん」 いつもの感情のわからない飄々とした姿に、一角は慌てふためく。 「な、何を言ってんスか!!」 「あら〜、こんなに色気があるのになぁ…斑目くんは感じんの?」 「なっ…!」 市丸は一角の様子を気にすることもなく、ニンマリと笑った。 「僕、ちゃんとなら、生まれたまんまの姿で過ごしたいけどなぁ」 「市丸隊長、お戯れが過ぎますよ?」 それまで黙っていたが、ムッと眉を寄せた。 市丸の視線は、遠慮なくの胸元に向けられていた。 それが腹立たしくて、一角は遮るように間に立った。 「市丸隊長。何か?」 一角が背に庇えば、の姿は完全に見えなくなる。 「なんや、いけずやな」 市丸が覗き込もうとするのを、さり気なく体の向きを変えて遮る。 その間には上着を着直した。 「わざわざここまで来るなんて…何の用です?」 有無を言わさない一角の態度に、市丸は「残念やなぁ…」と小さくぼやいた。 「今度の合同討伐のことで、更木はんと確認したいなぁ、思うことがあって寄らせてもらったんや」 「でしたら、隊長室に…」 「うん。言ってみたンやけどな、隊長はん、お留守よって。こっちにおるかな思うたんや」 「こっちにはいないんで…隊長が戻られたら、市丸隊長が来られたとお伝えしときます」 「ほな、よろしゅう頼むわ。お邪魔さん」 そう言い残して、現れた時から一切表情を崩さずに、市丸は去っていた。 市丸の霊圧が完全に消えると、は思わず息をついた。 「? どうした」 「…私、なんか…あの人、苦手で」 自分の死覇装の袂を両手でギュッと握って、は一角を仰ぎ見た。 心細そうな、自分を頼るような瞳に、一角は胸をつかれた。 「ありがと、一角」 目の前で微笑むが、か弱く思えて。 思わず抱きしめたくなる衝動を堪える。 「…おう」 一角はぶっきらぼうに答えて、視線を反らした。 「…だから、言っただろうが。オメーは女なんだからよ…気をつけろ」 「うん…ごめん」 シュンとなったを見て、また胸が痛い。 悪いのはでなくて、市丸だ。 他の男がのことを、そういう目で見ていると知って驚きと怒りを覚える。 内心の憤りを押し隠して、一角は安心させるように、の背中を軽く叩いた。 「大丈夫だ。市丸隊長も他意があってのことじゃねーよ」 「…そうだね」 そう言って頷くが、いつもの笑顔を見せたので、一角はホッとした。 「ねえ、一角。来週、誕生日でしょう? 何か欲しいモノとか、ある?」 「なんだ、藪から棒に…」 「…うん? 別に…。ただ、何か欲しいモノがあるのかなぁって思っただけ」 「欲しいモンねぇ…」 突然聞かれると思い浮かばない。 誕生祝いと言われても、あまりピンとこないうえに、もともと物欲があるわけでもない。 毎日戦えて、旨い酒が飲めれば、それでいい。 今の生活に何か不満があるわけでもない。 「…思いつかねぇな」 「そう」 返事を黙って待っていたは、少し残念そうな表情を見せた。 それを見て、思わず一角は尋ねた。 「なんだ? 俺が欲しいモンでもあったら、贈ってくれるつもりだったのか?」 「…せっかくの誕生日だもん。毎年、お酒じゃ…どうかなぁって思って」 十一番隊では、上位席官の誕生日は大宴会と決まっている。 だから、前祝いに、個人的に飲みに繰り出すのが毎年の定番になっていた。 「あー、別に…」 何気なく一角は答えた。 「俺は今の状態で満足してるからよ」 「今の…」 ぽつりとは呟いて、それから、微かにうつむいた。 「そっか。…じゃあ、今年も前祝いに弓親と三人ででかけようか」 「おう。それでいいぜ」 一角は頷きながら、ふと怪訝そうに眉を顰めた。 「どうした? なんか…沈んでねぇか?」 「そんなことないよ」 「そうか?」 そういう割には、表情が冴えないような気がして、一角は内心首を傾げた。 その時、自分たちを呼ぶ声がした。 「おーい、二人とも!」 弓親が近寄ってきて、二人を呼んだ。 「そろそろ休憩にしようよ。隊長がお菓子を買ってきてくれたよ」 「あっ! 今日は久里屋の新作の出る日だ!」 は瞳を輝かせると、すぐさま駆け出した。 「一角、先に行くよ」 言い残して、アッという間に去っていく。 「…気のせいか」 「何がだい?」 一角と弓親は並んで歩き出した。 「いや…なんか、が沈んでるような気がして…。市丸隊長のコトでも気にしてんのか?」 「何、それ」 一角は問われ、事の次第をかいつまんで話した。 聞いていた弓親の眉間が、だんだんと険しくなっていく。 「ま、大したことねぇと思うんだけどよ」 「あのねぇ、一角」 弓親は大げさに溜息をついて続けた。 「キミは知らないかも知れないけどさ。って結構、人気あるんだよ?」 「人気?」 「そう。狙ってる男は多いんだよ」 「はあ? あいつをか?」 「まったく。ぼやぼやしてたら、他の男に取られちゃうよ?」 「…別に、俺は」 をどうのと思っているわけではない、と反論しかけると、弓親が遮った。 「一角。そろそろ自分の気持ちを考えてみる頃なんじゃないかい?」 一角は目を見開いて、弓親を見た。 弓親にからかうような素振りはどこにもない。 「…自分の気持ち?」 「そうだよ。が他の男の隣りで笑っていてもいいの? が他の男に抱かれてもいいわけ?」 たたみかけるように問われ、一角は言葉に詰まる。 「考えてごらんよ。一角にとって、がどんな存在か」 「…どんなって」 は部下で、気の合う仲間で、友人で。 『更木隊長の下で戦って死ぬ』 ただ一つの同じ望みを持って、他隊からの昇進の誘いも断って。 弓親と三人で、隊長の背中を追っかけている。 いつも隣りで笑って、喧嘩して。 当たり前のように側にいる存在。 そのが、他の男と? 「…そんなのあり得ねぇ」 考えるだけで反吐が出そうで、思わず呟く。 「あいつは、更木隊の四席だ。他の男のモンになんか…」 させてたまるか。 言いかけて、一角は口ごもる。 それは、まるで、自分の気持ちを告白しているようではないか。 自分でも頬が赤くなるのがわかり、一角は小さく舌打ちをした。 「本当に早くしたほうがいいんじゃない? …きっとも待ってるんじゃないかな?」 弓親はそれだけを言い残して、先に歩いて行った。 「おい、弓親…!」 一角は呆然とその場に立ち尽くす。 「待ってる、って…何だよ、ソレ」 それじゃ、まるでも? ドクン、と胸が高鳴った。 「ハッ、ガキじゃねーんだからよ」 女を知らないわけじゃない。 口説いたことだって、何度もある。 けれど、意志に反して、鼓動が高鳴る。 「…チッ。何だよ、ったく」 一度気がついてしまえば、抑えることができなくて。 一角はガリガリと頭を掻いて、歩き出した。 十一番隊の庭園は、剣八が隊長に就任した際に道場に作り替えらた。 かつてはそれなりに見る所があったらしいが、今はその面影はどこにもない。 わずかに残された庭には、紅葉の大木があった。 その下で、が一人で、風に揺れる葉を見上げて立っていた。 「何やってんだ」 一角はその姿をしばらく見ていたが、見上げたまま動かないに声をかけた。 「首が痛くなるぞ」 「一角、いたの」 真剣に見入っていたのか、は声をかけられて、初めて一角の存在に気がついたようだった。 「だいぶ色付いてきたでしょう」 は目を細めて、再び頭上を仰いだ。 「今年もきれいね」 「ああ」 そういえば、はこの木が色付くのを見るのが好きだったと思い出す。 毎年こうやって、ひとり心ゆくまで楽しむのだ。 「もう少し鮮やかな赤になりゃいいのにな」 「そう? これでいいじゃない」 この庭の紅葉は、完全に色付いても、赤でもなければ紅にもならず、淡い朱色のままだ。 目の覚めるような鮮やかな色ではないけれど、はそれがいいのだという。 鮮やかすぎる色は血を連想してしまうから、と。 一角も思わず目を細めた。 陽光に洗われた朱色を背に、顔を上げるが眩しく見えた。 「きれいねぇ…」 嬉しそうに口元を緩める姿に、つい、我慢できずに背中から抱きしめる。 「ちょっと、一角?!」 突然の行動に、は驚き戸惑いを隠そうとしなかった。 「どうしたの? 一体…」 慌てて腕を解こうとするを逃すまいと、一角は力を込めた。 「なあ…この前の…まだ有効か?」 「この前の?」 少し落ち着いたのか、は抵抗を諦め、抱きしめられるがままに立ち尽くしていた。 抵抗がなくなったことに、少し安堵しながら、一角は言葉を続けた。 「あれだ…その、欲しいモノがあるか、ってやつ」 「誕生日の? …なにか、欲しいモノできたの?」 「そうだ。まだ、間に合うか?」 「う、うん…」 既に終わったと思っていた話題に、は明らかに戸惑っていた。 微かに甘い匂いが一角の鼻を掠める。 それが、が身に纏う香だと気がついた。 こうして抱きしめるまで、が香を使っているとは知らなかった。 いつも側にいるのに、まだ知らないことがたくさんある。 「何か、欲しいの?」 戸惑いつつ、が尋ねた。 「ああ…」 一角は頷いて、そっとの髪に頬を埋めた。 「お前が欲しい」 もっとを知りたい。 耳元で告げれば、の細い肩が小さく揺れた。 「…一角?」 が振り返ろうとするのを、抱く手に力を込めて制する。 「お前に惚れてんだ。ダメか?」 「…ダメ、じゃないよ」 は微かに震える手で、一角の腕を握りしめた。 「…冗談、とかじゃないよね?」 「ンなこと、言えるか。馬鹿」 「だって、信じられなくて」 「何がだよ?」 だって、とは小さく繰り返した。 「なんか、まさか一角が…」 そっとを覗き込めば、顔を真っ赤にして、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。 「泣き虫」 「ほっといてよ」 は目元を拭うと、再び、一角の腕から逃れようとした。 「なにやってんだよ」 「だって、こんなところ…誰かに見られたら…」 「かまわねぇよ」 おめぇは俺のモンだろう? と耳元で囁けば、の頬が更に染まる。 ククッと一角は笑った。 「おめぇの方が、紅葉してるみてーだな」 「…一角の馬鹿」 照れ隠しに、が口を尖らせる。 「恋人に馬鹿って…ひでーな」 一角は喉の奥で笑いながら、の肩に顎を乗せた。 「まあ、そんなとこが…な」 「何が?」 「あァ? 俺が惚れてるとこだ」 「…いよいよ、わけわかんない」 「…好きだ、ッて言ってんだ。この馬鹿」 そう言う一角も、首まで赤くなっていた。 「馬鹿って…何よ」 もう、と呟きながら、は背中を一角に預けた。 「私も…好きよ」 「…そうかよ」 二人が付き合い始めても、十一番隊の日常に変化はない。 喧嘩上等の戦闘集団。 虚退治の指令がくれば、隊長以下、上位席官が真っ先に飛び出していく。 【指令…十一番隊に現世に出動要請…】 地獄蝶が出動を知らせる。 現世に赴いた七番隊が苦戦しており、救援を求めてきたとのことだった。 「よし、俺が行くぜ」 真っ先に一角が名乗り出て、続いて、が立ち上がる。 「私も! 隊長、よろしいですか?」 「ああ、好きにしろ」 剣八は横柄に頷いた。 現世となると、隊長格は簡単には赴けない。 「チッ…つまんねーな」 面白く無さそうな剣八に苦笑しつつ、は弓親を振り返った。 「弓親はどうする?」 「もちろん、行くよ。後は適当に連れて行けばいいね?」 「そうねぇ…。私たち3人だけでもいいけど、負傷者がいたら運ばなきゃならないし」 「じゃあ、連れてくのは5、6人でいいかな」 弓親は側にいた部下に、出撃する人員を選ぶように指示を出した。 「5分後には出るよ、急いで」 慌てて駆けていく部下を見ながら、が背伸びをした。 「うちに救援依頼が来るくらいだから、相手は強いのかなぁ…」 「まあ、そこそこだろうよ」 一角は鬼灯丸を手にすると、ニヤリと笑った。 「大物は俺がもらうからな」 「ずるーい」 「バーカ。上官優先に決まってンだろ」 「…こういうときばっかり、上司面して」 「なんだと?」 にらみ合って一触即発の様相を呈する一角との間に、弓親が割って入る。 「はいはい。痴話喧嘩は、ほどほどにね」 痴話喧嘩という単語に、二人の顔が赤くなる。 「な、何言ってんのよ! 弓親!!」 「そ、そうだ!!」 慌てて否定する二人に、弓親は呆れたように嘆息した。 「あのねぇ…。一角の誕生日頃に、キミ達がくっついったってことは、みんな知ってるんだよ?」 うんうん、と、やちるも嬉しそうに頷く。 「そうだよー!! 紅葉の木の下で、ギュッとしてたじゃない。やちるも剣ちゃんも見てたんだよー」 「「えっ…」」 二人が同時に剣八を見れば、同意とばかりに口元を歪めた。 「ヤることヤったんだろ? いいじゃねぇか」 思いっきり露骨な言葉に、一角もも返す言葉が見つからない。 「きゃはははは! つるりん、茹でダコになってるよ〜!!」 「つるりん言うな!」 一角はやちるに怒鳴り返し、咳払いをすると、ポリポリと頬を掻いた。 「…まあ、その…そういうワケで…コイツは俺のモンになった…つーか、その…」 「ああ、良かったじゃねぇか」 剣八はフッと笑った。 「やっとくっついて、せいせいしたぜ?」 「そ、そうですか…」 一角とは顔を見合わせ、それから、照れたように下を向いた。 「まあ、それと任務は別だ。さっさと済ませてこい」 「はいッ! では、行って参ります」 一角を先頭に、、弓親と並んで部屋を出ていく。 「弓親ァ!」 「何ですか? 隊長」 呼び止められて弓親は振り返ると、剣八はニヤリと笑った。 「全部片づいたら、後は邪魔すんなよ?」 「…心得てますよ」 弓親は肩をすくめて答えた。 「僕は馬に蹴られたくはないですからね」 「なんで馬に蹴られるの?」 きょとんとしたやちるに、剣八と弓親は目を合わせて笑った。 「副隊長、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるって言い伝えがあるんですよ」 「へぇ…そうなんだぁ」 「だから、副隊長も二人の邪魔はしないであげてくださいね?」 「うん!」 先に行った一角が痺れが切れたように、声を上げた。 「弓親!! 何やってんだー!! 行くぞ!」 「はぁい、今行くよ」 弓親は走りながら、廊下の窓から外を覗いた。 「いい天気だねぇ…虚退治日和だ」 高く青い空が広がり、陽に洗われた小さな庭の紅葉が彩りを添えていた。 終 2008.12.2 企画サイト「君の鳴く場所」様提出作品 お題配布元:Cantabile ed Espressivo 様 |