隊舎の屋根瓦に上がって惰眠を貪っているのかと思った。けれど彼女は遠くの方に聳え、微かに滲む緑を眺めているようだった。

くん、どういうつもりだい?」

 彼女はヘラリと笑って、こっちこっちと手招きした。僕は嘆息を吐いてから彼女の傍に近寄る。

「吉良ふくたいちょーお疲れさんです」
「どういうつもりなの? そのふざけた言葉は」

 隊長がいなくなってから業務が忙しい。それを知っているにも拘らず彼女のこの態度は何なのだと思う。三席は決して悲観できる立場ではないはず。彼女にもたくさんの執務が存在する。

「堂々とサボリですか、貴方は」

 そうとも言いますね。彼女は目を伏せて笑った。

「最近書類とばかり睨めっこしてたから視力が悪くなった気がするんですよ。知ってました? 緑は視力を回復させる作用があるらしいですよ」

 だから何だと言うのだ。それは僕も一緒だ。

「ふくたいちょー、イライラしてる」

 それはキミの所為だよ、キミの。

「私って今の季節が好きなんですよ。若葉が萌えでるこの季節が」
「だからサボってそれを見てるって訳ですか」

 皮肉気味にそう呟けば、彼女は眉を顰めて苦笑した。

「知ってます? この色は単純に緑色って訳じゃないんです。緑にもいろんな名前がついてまして、渋みのある緑は緑青ろくしょう、濃い緑色は常盤ときわ、灰に近いくすんだ黄緑は青白橡あおしろのつるばみ。他にもたくさんの名前がついているんですよ」

 興味本位で「じゃぁ、この緑は?」と聞いてみる。この初旬のこの色を。

萌黄もえぎ

 そう呟いて、彼女は僕から視線を外し真正面へと向ける。

「この色は、若武者が好んでつけた色だと聞きます。だからこの時期に思い返すんです、死神になったばかりの、その時の気持ちを」

 初心忘るべからずです。

「忙しい時だからこそ、こうして立ち止まって辺りを見渡すのも大切なんじゃないですか?」

 それだけで話を纏めれば良いものを「それに副隊長、生前過労死してんですからそんな時間が必要デス!」と余分な言葉を付け足した。

「いやいや、違うから。一応これでも、貴族出身なんだけど」

 たとえそうであったとしても、そんな死に方は絶対に嫌だ。

「あっ、そうなんですか? 吉良副隊長って結構いらぬ面倒とか背負い込むタイプじゃないですかー、断りきれなくってずるずるっと。てっきりそうだと思ってました」

 まぁ、日番谷隊長ほどじゃないですけど。彼女の横顔は仄かに笑っていた。

「キミみたいな不真面目な部下いることも原因だろうね」

 嫌味を零すけれども、僕も釣られて笑みが零れてしまうのは何故なのだろう?

「そんなら、いっちょ仕事しますかね? 最近吉良副隊長、根詰めすぎだもの。後は私が引き受けますから、ちょっとばっかり立ち止まっててください」

 よっこらせ!と大仰な掛け声を出しながら、彼女は立ち上がった。

「それは無理な相談だよ。いくら他の隊長達に比べれば仕事が少ないからって、まだ大量にある」

 それに「わっかんない人だな〜」と彼女は不機嫌に顔を歪ませながら、こちらを向いた。

「本当にサボりたかったら三番隊舎の屋根上なんて選びませんよ、もっと遠くに行ってます!」

 良いですか、わかりましたか? 私の言ってる意味!! 彼女はそう凄んで、人差し指を僕に突きつける。要するに彼女が言いたいのは、たまには休めってことなのだろう。

「ありがとう」

 キミなりに気を使ってくれたんだね。

「けど、こんな回りくどいことをせず、素直に言ったら良いのに」

 僕はもう一度嘆息を吐いた。だってそうだろ? この会話は執務室でも大丈夫だったろうに。

「それは、秘密です」

 どうせキミもそれを口実に、少しサボりたかったんだろ? まぁ、良いや。これから真面目に仕事してくれれば。

「それにしても、 くんがこんなに色のことが詳しいなんて知らなかった」

 多分彼女のことだから、緑色の他にもさまざまな名前を知っているのだろう。彼女は僕より博識だ。

「なに? 私に興味を持ってくれたんですか?」

 そう意地の悪い笑みを瞳に湛えながらも、彼女の表情は柔らかくて。それにドキンと心が震えたのは、それを証明しているように思えた。

 ここで何を言えば彼女をぎゃふんと言わせられるのだろう? 今日は彼女に何枚も座布団を持って行かれている。十枚と積み上げられたそれを、全部取り上げるにはどんな言葉が良いだろう?

 そんな逡巡をよそに「そうかもしれないね」と呟く僕がいた。